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夕方の青ヒゲが営業的に辛い

業務用機器等の営業をしているのですが、とにかく夕方頃にアゴから頬周りに生えてくる青ヒゲがみっともなくて辛いです。

営業という手前、できるだけ身なりを整えて清潔感があるよう心掛けているのですが、この青ヒゲばっかりはどうにもならず、過去何度も悩みました。

うっすら生えてくる程度ならまだ良いのですが私の場合本当に毛深くそして剛毛で、電気シェーバーが半年で故障したりするほどなのです。

通常営業等の時はまだ先方担当者も理解があるのでよいのですが、何か謝罪に行かなければいけない時、これが最もつらいです。

その時は青ヒゲのまま行くことなんて出来ないので、コンビニで剃刀を購入し、トイレでシェービングクリームを塗り、時間をかけて丁寧に剃ってから伺うようにしています。

そして青ヒゲの次に辛いのが腋毛です。

まぁ夏は半袖が着れなくて辛いです。通常サイズの袖だと確実に腋毛がこぼれ出てしまうのです。一度ハサミ等でカットしてはみ出る量を抑えたこともあったのですが、今度はその毛先がチクチクして痛くなってしまい、どうにも長続きしませんでした。

プライベートに近い時は気にしませんが、多少なり気を遣う会社の同僚等がいる際はどれだけ暑くても長袖を着るようにしています。

汗をダラダラ流して気持ち悪いと思われているかもしれませんが、脇から大量の腋毛がはみ出している状態を見られるよりはマシなのです。

とりあえずヒゲ脱毛から始めようと思っています。このサイト(ヒゲ脱毛盛岡市)を参考にしてリゼクリニックを選びました。

30年間生きてきて、ずっと毛深さに悩まされてきました。高校生頃からはなんとかネタにして笑えるようになりましたが、やっぱり内心傷つきますし辛いものです。

もし周りに毛深い方がいたら、優しくしてあげてほしいです。世の中には主に頭部に毛の足りない人がたくさんいるというのに、なんとか分けてあげられないかと思う次第です。

全身脱毛したらよかった!

 

5年前に初めて脱毛を始め、2年前に脇、Vライン、ひじ上、ひじ下、ひざ下の脱毛を終えました。

もともとの毛質としては、細いのですが長い為に目立ちやすいという感じでした。

脱毛を終え、ノースリーブはいつでも毛を気にせず着ることが出来る様になりました。Vラインもきれいに整え小さくした為、可愛い下着も気にしなくて大丈夫。非常に満足しています。

しかし、予算の関係で足はひざ下しか契約しませんでした。ローンを組むのは嫌だったからです。
・・・が!今ではローンを組んでもやれば良かったなと思っています。

ひざ上丈のスカートやパンツを着る時はシェーバーで自己処理を行うのですが、色んな所の脱毛を終えた為、普段毛の自己処理をする習慣がありません。

そのため、たまに処理するのを忘れてミニスカートを着て、出先で毛に気づくということが結構な頻度であります。仕方なく家に戻って処理するか、場合によっては携帯用のフェースシェーバーで処理することもあります。

素足の時は早めに気づけるので良いのですが、デニールの低いストッキングなどの時は帰宅してから気が付くこともありました。とても恥ずかしかったです。

脱毛期間の約3年間、事あるごとにスタッフさんに「ひざ下やるならひざ上も絶対やったほうがいいですよ!」と何度も言われていたのに(泣)なぜ聞く耳を持たなかったんだ、と後悔しています。

一番後悔しているのはひざ下なのですが、これは脱毛経験者あるあるなのかもしれないのですが、一か所するとここもあそこも・・・と結局全身脱毛をしたくなります。

実際、「全身脱毛できるものならばしたい」というのが本音ではあります。水着の時などは家族に協力してもらい背中や首なども処理しますし、全身出来たら本当に楽だと思います。

サロンのスタッフさんが言っていたのですが、自己処理を続けると肌が刺激されることで毛根が刺激され、毛を作る力が活性化されると聞きました。

自己処理は時間もかかるし、また済んでいない部分の脱毛を考えています。

ちなみに、私は広島県福山市に在住なんですが、福山で脱毛をするならこちら⇒【 福山市脱毛】に行くといいですよ(‘ω’)ノ

 

五臓圓ビルについて

五臓圓ビルは、昭和6年に建築され、鳥取大震災(昭和18年)と鳥取大火(昭和27年)にも耐え抜き、建築以来約80年を迎え用とする歴史的建築物。五臓圓ビルは、智頭街道商店街付近が最も繁栄した昭和10〜20年代には、街のシンボルとして燦然と君臨していました。平成22年1月には、文化庁の登録有形文化財として指定され、その歴史的価値も認定されました。

五臓圓ビルの歴史

五臓圓ビルは、昭和6年、個人建築としては鳥取で初めてとなった鉄筋コンクリート三階建ての建築物です。スクラッチタイルと大理石を張ったモダンで豪華な外観は、江戸時代から続く薬種商森下家の先代が流行の意匠を取り入れて、旧鳥取県立図書館と同じ業者に施工させたといいます。昭和18年の鳥取大震災でびくともせず、同27年の鳥取大火でも消失を間逃れました。当時、城下町一番の繁華街だった智頭街道のランドマークとして、災害の記憶とともに現代に語り継がれている、貴重な歴史建築です。(出典:『県民の建物100選』)

五臓圓ビルは、大正から昭和初期に最も栄えた中心商店街の智頭街道と二階町通りの交差点にあります。鳥取市の本格的鉄筋コンクリート造の建築では協立銀行・鳥取市庁舎(但し鉄筋ブロック造)・鳥取県立図書館に次いで四番目に古く、現存する建物としては最古となっています。
森下家は藩政時代よりこの地で代々「石見屋」の屋号で生薬等の商いを営んでいた老舗です。初代の頃、僧より伝授された「三心五臓圓」という滋養強壮の家伝薬と各種生薬を代々扱い、日露戦争後は家庭用医薬を、大正には西洋医薬も卸小売する薬種商として栄えてきました。
明治以降の薬種商としては四代目となる森下清治(明治6年生)は、予てからの西洋館建築の願いを実現するため、昭和4年に着工した県立図書館に合せて同じ新工務所(大阪市北区・新定蔵・東伯郡八橋町出身)に工事を発注し、同6年1月に五臓圓ビルは完成しました。